旧宮家

その他

いろいろ調べてみると

天皇家も皇統が途絶えたから、ほかの宮家から養子(こういう表現がよいのかわからず)を迎え現天皇家になった。

後桃園天皇ー閑院宮家から兼仁親王(光格天皇)ー現在

上の表の、閑院宮家の4代目、5代目、6代目に天皇と書いてありますが、間違いで親王ですね。

  • 江戸時代に、新井白石の進言により、閑院宮設立
  • 江戸時代の118代・後桃園天皇(ごもぞのてんのう)が、男子を残さず若くして亡くなりました
  • そこで、第113代・東山天皇の子供が開いた「閑院宮」の家から、男の子が新しい天皇として迎えられました。この天皇が第119代・光格天皇(こうかくてんのう)です。

その江戸時代に残っていた宮家は、

江戸時代には、「四親王家(ししんのうけ)」と呼ばれる4つの宮家が存在していました。これらの家は代々、天皇の跡継ぎがいない時に天皇を出せる特別な宮家でした。具体的には以下の4家です。

  1. 伏見宮(ふしみのみや)
  2. 桂宮(かつらのみや)
  3. 有栖川宮(ありすがわのみや)
  4. 閑院宮(かんいんのみや)
  • 伏見宮(ふしみのみや)
    南北朝時代の皇族・崇光天皇(すこうてんのう)の子供が作った宮家です。最も長い歴史を持ち、現在の皇室の多くにつながる重要な家です。
  • 桂宮(かつらのみや)
    安土桃山時代にできました。もとは「八条宮(はちじょうのみや)」や「京極宮(きょうごくのみや)」と呼ばれていましたが、後に桂宮に名前が変わりました。
  • 有栖川宮(ありすがわのみや)
    江戸時代の初めにできました。書道や和歌の先生として朝廷でとても有名だった家です。
  • 閑院宮(かんいんのみや)
    江戸時代の半ば(1710年)にできました。現在の上皇さまや天皇陛下の直接のルーツにあたる家です。

これらは「世襲親王家(せしゅうしんのうけ)」と呼ばれ、天皇の血すじを絶やさないための大切な役割を持っていました

桂宮(かつらのみや) 現在断絶

有栖川宮(ありすがわのみや) 現在断絶

閑院宮(かんいんのみや) 現在断絶


伏見宮(ふしみのみや)

旧皇族


宮家は、天皇の血すじを絶やさないための大切な役割を持つ

現天皇家もその宮家の一つの「閑院宮」からの来られた方が、天皇家を継いだ


徳川家に似ていますね

徳川宗家に跡継ぎが途絶えた時に、紀州、尾張、水戸家から将軍を迎える

今の愛子さま待望論的な世論でいうなら、紀州徳川家からやってきた徳川吉宗の長子である女の子に徳川宗家を継がせるという感覚かな


現天皇家と旧宮家の血の繋がり

2. 母方の繋がり(女系のルーツ)

  • 明治天皇からの血筋:明治天皇の娘(内親王)のうち3人が、旧宮家(北白川宮家、竹田宮家、朝香宮家)に嫁ぎました。
  • 昭和天皇からの血筋:昭和天皇の第一皇女である照宮成子内親王は、旧宮家の東久邇宮盛厚王に嫁ぎました。このお二人の間には子供が生まれており、現在の天皇家と非常に近い血縁関係にあります。
  • 昭和天皇の奥様の香淳(こうじゅん)皇后。本名は良子(ながこ)女王。久邇宮邦彦(くにのみやくによし)王の第一女子として生まれ、1924年(大正13年)にご結婚
    現在の旧皇族(臣籍降下前)から昭和天皇に嫁いだ。

天皇家ってなに?

男子に天皇家のY遺伝子(Y染色体)を持つもの

男子は、YとX遺伝子を持つ。

女子は、X遺伝子のみを持つ

イギリス王室は、エリザベス女王の子供のチャールズが国王になった時、チャールズ国王の父親の朝に名前が変わるらしい。


世論は、恐ろしい

第二次世界大戦時、

「国防婦人会」や「大日本婦人会」などにより

宗教団体のような一方的な思想で突き進んでいた。

その当時は、日本が戦争に負けるとは決して口に出せない時代

時代に流される世論というものほど信用できないものはない


日本は、戦争に負けた。

負けてない世界の王家は、財産もそのままで金持ち。

戦争前の日本の天皇家

戦前の日本の天皇家は、国家財政に匹敵するほどの莫大な資産を持つ世界有数の大富豪でした。現在の長野県ほどの広さの山林や農地、日本銀行などの主要企業の株、そして多額の現金などを保有していました。しかし、第二次世界大戦後の改革でそのほとんどは国に没収されました

広大な土地の所有: 天皇家の土地(御料地)は日本の国土の数パーセントにも及びました。全国の山林から得られる木材の利益は、天皇家の大きな収入源でした。
優良企業の株主: 日本銀行や日本郵船、横浜正金銀行(いまの三菱UFJ銀行の前身)など、国を代表する会社の大きな株を持っていました。
独自の財産: 現在とは違い、皇室の財産は国のお金とは完全に別でした。そのため、利益はすべて天皇家のものとなり、年々資産がふくらんでいきました。


現在は、象徴となり、個人財産は無し。国民の税金によって暮らしている状態

各種団体の名誉総裁を務めたり務めを果たしておられますが、本来は、何もしなくても良い存在。

国民の世論によってどうにかされる存在

SNSの時代になって世論はすぐに極端に傾く。精神的に人の意見に左右されやすい情弱が多い。

戦争に負けて、象徴になり、動物園の檻に閉じ込められた動物のように見世物扱いで自由なし。

美味しいラーメン屋さんにも並べない。

市川市動植物園のパンチくんのように「わあ〜かわいい」

と国民によって、同じ扱いをされている愛子さま。

生まれた時から国民が見守り、その成長を見届けてきた

旧皇族から迎えるかもしれない男子は、その過程を経ておらず、国民からの親しみがない

今の天皇や秋篠宮様も赤ちゃんの頃からテレビなどで国民が見守り続けてきた

だから、国民から尊敬を集め認められ信頼されている。

象徴天皇ならば、それが世論にとって、とても大事。

愛子さまが、大人になったら、天皇になって欲しいと世論が支持。

一方、悠仁様を天皇にさせないように、秋篠宮様と紀子さまを世論は、現在は徹底人格攻撃中。

昔から続く旧皇族を含む宮家の役目とは、世論とかけ離れたもので

Y遺伝子(Y染色体)のみが絶対な力。


現在のSNS時代は、長い日本の歴史の中で生まれた特殊な環境

もし中国が、ミサイルを撃ってきたら、世論は、すぐに極端に傾く。

世論は、そんなもの

絶対に一般市民が成れないものが、皇族

宝塚でステージに立つ男

国技館で相撲取りの土俵に立つ女性力士。

世論でどうにかできるものでない。


人の家族の問題に、他人がとやかく言うことはやめたほうが良い

イギリス王室の国王は、イギリス国民の世論が決めるのか?

旧皇族が臣籍降下で皇室を離れる際に昭和天皇がかけたお言葉

旧宮家の方々に「万が一にも皇位を継ぐべきときが来るかもしれないとの御自覚の下で身をお慎しみになっていただきたい」

そう語られ菊栄親睦会を設立なされました。皇族と旧宮家の方々は菊栄親睦会を通じて、密接なご関係を維持されておられます


以上のことから、現皇室は、四親王家(ししんのうけ)と呼ばれる血のスペアである宮家から継いだものである

  • 現天皇は、愛子さまを授かった
  • 雅子さまは、一度流産している
  • 過度な報道や人格バッシングなどかなりのストレスだった
  • 現天皇は、奥さんである雅子さまをかなり守ろうとした

おそらく不妊治療をされていると思います。

  • 雅子さまは、3人姉妹。女の子が生まれる家系
  • 雅子さまは、1963年生まれ、愛子さまは、2001年生まれ。
  • 雅子さまが、38歳の時に愛子さまが生まれた
  • 必然的に男の子がいないと大変なことになることはわかっていた
  • 旧宮家は、臣籍降下してしまっている。昭和天皇の言葉
    旧宮家の方々に「万が一にも皇位を継ぐべきときが来るかもしれないとの御自覚の下で身をお慎しみになっていただきたい」
  • 秋篠宮さまは、現天皇と雅子さまの姿を見ていてこれ以上プレッシャーを受けられない状態を知っている。
    冷徹に男の子を作る意思がないこと感じ取ってたのか?
  • 通常なら、愛子さまを生んだ時点で38歳(2001年)だからまだ頑張れるはず。
  • 天皇家として秋篠宮さまは男の子を残さないといけない義務感がかなりあったのではないか?
  • 秋篠宮1965年生まれ
  • 紀子さま1966年生まれ。兄弟がいて男
  • 眞子さま1991年生まれ、紀子さま25歳の時
  • 佳子内親王1994年生まれ、紀子さま28歳の時

一般家庭ならここで打ち止め

皇室典範では、女の子は天皇になれない。

愛子さまを天皇にすることは、現在の法律上無理
このままだと皇統が途切れてしまう。
現天皇に進言しても皇統の維持よりも雅子第一だからおそらく聞いてくれない。

一般家庭でも長男という存在は、穏やかで競争心がなく事なかれ主義

細かく考え先回りして小狡く動くのは、その弟たち

  • 悠仁親王2006年生まれ、紀子さま40歳の時

佳子内親王誕生から12年経っています

予想ですが、秋篠宮さまは、雅子さまが、愛子さまの次の子を作るのを待っていたのではないか。

  • 雅子さまが38歳の時(2001年)、愛子さま出産
  • 紀子さま28歳の時(1994年)、佳子内親王出産
  • 紀子さま40歳の時(2006年)、悠仁親王出産
  • この時、雅子さま43歳

予想です。

秋篠宮様と紀子さまは、1994年に最後の子を生んでから、
雅子さまが、次の子を授かるのをじっと待っていた
悠仁親王出産時の雅子さまの年齢が43歳

秋篠宮さまは、雅子さま38歳から43歳までに懐妊をひたすら待っていた。
43歳での出産はリスクを伴う。
新しい子を作る意思はなさそうだし、もう待てない。
紀子さまは、その時40歳。佳子内親王出産を生んでから12年経っている。
その間に子を作れるのに、それをしていない。
その間に子を出産すると雅子さまにさらなるプレッシャーが生じる
紀子さまの年齢的にも40歳が限界。もう待てない。

責任感と皇統を考え、秋篠宮さまは、子供を作ることを決断したのではないか。

結果、男の子である悠仁さまが生まれた。

現在ネットでは、愛子天皇を阻む存在の悠仁さまという存在を生んだ秋篠宮さまと紀子さまにものすごいバッシングがあります

考え方によっては、次男が天皇を乗っ取ろうとしているクーデターを起こした存在のように扱われています。

冷静に考え、皇統を維持するために待っていたんだけど、兄は、皇統よりも愛子大好き。
(もしかしたら兄弟同士で話し合い、弟である秋篠宮様に新しい子を(男の子)を作るように言ったのかもしれない。)責任感から、男の子を産むことを決めた

雅子さま、紀子さまの出産時の年齢、その後の年齢を計算すると計画的に悠仁さまが誕生する必然が見えてきます

一番冷静に、皇室全体のことを考えているのは、秋篠宮様なのかもしれません

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